火曜日, 11 of 8月 of 2020

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読書 闇の修験道

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日本の多くの山は、山伏による修験道の修行の場となっている

この修験道(しゅげんどう)とは何だろうか?

筆者は古代史関係の多くの本を書いている歴史作家で、本書では、この修験道の謎に挑んでいる

筆者によると、日本には縄文時代から続くアニミズム信仰があったが、仏教の流入に刺激されて、7~8世紀ころに上からの官製神道として、中臣神道が形成されてゆく

天智天皇派の中臣(藤原)鎌足と息子の藤原不比等が宮廷(天皇家)を実質支配し、自分たちに都合良く、歴史(日本書紀)と宗教(中臣神道)をまとめていく

この中臣神道からこぼれおちた、従来からの日本古来の信仰が、修験道になったという

このような経緯から、修験道の勢力は反藤原となり、さらに反権力となったので、時の権力者からは敵視されることが多く、「」と呼ばれるようになる

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はるか後の世の、明治維新による廃仏毀釈の真のターゲットは、仏教ではなく修験道だったと言う

藤原氏の権力奪取によって、これまで天皇家を支えてきた旧勢力は疎外され滅ぼされていくが、その残党は壬申の乱で一時復権し、やがてまた藤原氏が権力を奪い返す

こうして平安時代は、藤原氏と反藤原による権力闘争の場となる

その後の日本史の動乱の中で、修験道の勢力は常に、反権力の立場で歴史に関わってくる

著者は、藤原氏こそ日本史最大の悪党と考えているようだ

(^_^;)

 

 


読書 「おかげまいり」と「ええじゃないか」

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おかげまいり」は、江戸時代に起こった伊勢神宮への集団参詣

数百万人規模のものが、およそ60年周期(「おかげ年」と言う)に3回起こった

ええじゃないか」は、特に最後の回(慶応3年・1867年)で発生した集団乱舞だが、これは明治元年の前年

著者は1912年生まれの京大出身の歴史学者なのだが、ガチガチのマルクス教信者のようで、階級闘争に結びつかないと価値を認めないようなところがあり、本書が刊行された1968年ころの時代精神(70年安保闘争のころ)が伝わって来る

観光旅行など多くの人には夢のような話だった江戸時代に、伊勢神宮めざして数百万人規模で「民族大移動」をしたという事実に驚く

伊勢神宮の近隣はもとより、遠く九州や東北地方からも、みんな歩いて伊勢をめざした

当時の人口(3000万人くらい)を考えると、長距離を歩ける者の3人に1人くらいが、民族大移動に参加したことになる

60年周期とすると、1867年の次は1927年(昭和2年)で、この時は金融恐慌など社会不安は大きかったが、「おかげまいり」は起きなかった

しかし、少し後に満州事変が起きて日中戦争に突入していくが、このころ日本軍は連戦連勝で、大日本帝国の支配地が広がることに熱狂している国民も少なくなかった

その次は1987年(昭和62年)で、バブルの真っただ中、日本中が狂喜乱舞した時代

さらに次は2047年ですけど、それまで生きてるかな~?

(^_^;)

 

▲伊勢神宮

 

映画「ええじゃないか」

 

▲バブルのころのジュリアナ東京

お姉さんたち 今は還暦くらい?  (^_^;)

 

▲最近の伊勢神宮への集団参詣

 


駆け込み寺を歩く

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私はキンキン冷たいビールが好きなので、どこのお店でも、グラスに氷をもらいます。

昨日、かっぱ寿司の逗子店でビンビールを飲み、グラスに氷をお願いしたら、次のビンビールを頼んだ時、言わなくても別なグラスに氷を入れて添えてくれました。

なかなか良く気が付く、素晴らしいサービスだなぁと感心しました。

(^_^;)

 

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読書 曲げないドイツ人 決めない日本人

★曲げないドイツ人 決めない日本人_ ドイツ人僧侶が語る日本人の才能 (サンガ新書)_01

著者は、禅にあこがれて来日25年、日本で禅寺の住職をしているドイツ人

日独双方の思考や行動の違いを、ユーモラスに書いているが、本当に水と油ほど違うので、大変だったんだろうなぁ、と思う

著者はドイツ人の国民性を、ヨーロッパの中でもかなり特殊と見ていて、それはゲルマン民族が農業を始めるのが遅く、割と最近まで野蛮な生活をしていたせいだと考えている

ドイツ人の心の中には獰猛なイノシシが住んでいて、普段は理性的に生きていても、ときどきそのイノシシが暴れだすのだと言う

なかなかうまい例えだと思う

(^_^;)


読書 日本ユダヤ超文明FILE

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日本ユダヤ同祖論というものがある

日本人とユダヤ人は、先祖が同じであるとする、かなり荒唐無稽な説なのだが、本書にはその「証拠」が山ほど集めてある

ユダヤ民族の歴史に12の支族が登場するが、そのうち10支族は今から2700年前にこつ然と歴史から姿を消し、行方不明になっている

この10支族が東へ東へと何世紀も旅(移住)を続け、ついに日本にたどり着いたというのが日本ユダヤ同祖論の骨子

日本にたどり着いた彼らは秦氏と名乗り、養蚕技術を伝えるなど、大和朝廷に多大な貢献をした

日本の古代史における秦氏の存在は間違いないのだが、問題は秦氏の先祖がユダヤ民族であるかどうか

正統な歴史学者から見れば、一種のトンデモ学説だと思うが、これが意外に面白く、中には信ぴょう性を感じさせるような「証拠」もある

日本では余り注目されていないが、イスラエルでは10支族の末裔探しが国家レベルで進められており、駐日イスラエル大使が必死に「証拠」集めをしたりして、日本との温度差が感じられる

(^_^;)

 


100年前の東京

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1913~1915年は大正2~4年、浅草でしょうかね?

電柱が立ってるから、もう電気はあったみたいだけど、みんな和服を着ている

疑似カラーなのでリアリティが高い

タイムマシンがあったら行ってみたいなぁ  (^_^;)

 


笑い仏

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 本当に 共産党さえいなければ

  いい国なんですけどねぇ  (^_^;)

 

中国甘粛省隴南市西和県でこのほど、法鏡寺の石窟の仏像の修復が行われたものの、その顔があまりにおかしいと大きな話題になっている。

問題の石の仏像は、目が大きく垂れ、口も歪み、なんともユーモラスな表情をしている。

現地の文化站(文化事業を担当する機関)の担当者によると、南北朝時代の北魏の太和時代(477~499年)に制作されたもので、大小合わせて十数体ある。

1998年に、像の頭部が破損していたことから、付近の村民が金を出し合い、職人に修復を依頼したという。

担当者は

「笑っているのが特徴の笑い仏です」

「前もこんな感じでした。ただ、修復した時に色を乗せただけ。

 基本的には大きな変化はありません。元の表情を基に修復したので。

 顔の変化は少しだけで、大きく変わっているわけではありません」

と説明した。

中国のネットユーザーからは

「何かがおかしい(笑)」

「思わず口角が上がった!」

「笑い死にしそう」

「ちょっと怖いけど笑える」

「仏像が笑っているかは分からないけど、私は笑った」

「夜中に出てきたら怖そう(笑)」

「いくら笑っているとはいってもこれはちょっと…」

「修復した人、美術を勉強したことないでしょ」

「元がこんなだったなんて信じられない」

といった声が上がった。

また、

「『大きくは変わっていない』ということは

 つまり変わったってことでしょ?

 文化財を駄目にした罪は重いぞ」

「地方が勝手に文化財に手を出さないよう法律を作るべきだ」

といった声も寄せられている。

 


神社騒動

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神道は、仏教やキリスト教などの他宗教とは異なり、お経や聖書のような明確な教義を持ちません

その分、宗教団体にありがちな教義論争(いわゆる「坊主のケンカ」)が起きにくい

それで今まで比較的まとまり良く、平穏に過ぎてきた訳ですが、ここに来て、俗臭と腐敗臭がただよう大スキャンダルが発生

神社界にも「宗教改革」が必要になっているようです  (^_^;)

 

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全国8万の神社を包括する宗教法人「神社本庁」(→、東京都渋谷区代々木)が激震している。

香川県の金刀比羅宮「こんぴらさん」が、神社本庁からの離脱を決めた。

背景には、不祥事や疑惑が続出する神社本庁への反発がある。

「明治神宮(東京都)が2004年に

 神社本庁を離脱したとき以来の衝撃だ」

と、神社本庁関係者は嘆く。

それもそのはず。

金刀比羅宮は全国各地におよそ600社ある金刀比羅神社(琴平神社、事比羅神社、金比羅神社)の総本宮。

海上安全の守り神として江戸時代にお伊勢参りと並んで「こんぴら参り」が盛んとなるなど、現代にいたるまで多くの信仰を集めている。

そんな讃岐の大神社が神社本庁からの離脱を決めた。

その理由は、神社本庁の不動産売買を巡る神社界上層部と業者の癒着疑惑を始め、神社本庁で相次いで発覚する不祥事への嫌悪感。

さらに、昨年の天皇陛下の即位に伴う大嘗祭当日祭にお供えする臨時の神社本庁幣帛(へいはく)料が、金刀比羅宮に届けられなかったことが決定的なダメ押しになった。

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金刀比羅宮は

「決して許されない無礼な行いであり、

 天皇陛下に対して不敬極まりない行為である!」

と憤りを隠さない。

金刀比羅宮は6/5付で神社本庁に離脱通知書を送付。

宗教法人法に基づく認証手続きを経て、早ければ今秋にも、離脱が認められる運びだ。

近年、金刀比羅宮と同じく神社本庁への反発から、離脱する大神社が続出している。

昨年、織田信長を主祭神とする京都市の別表神社、建勲神社が離脱。

また、2017年には富岡八幡宮(東京都)において、離脱を決めた女性宮司が、実弟から日本刀で惨殺されるというスキャンダラスな事件も起きた。

殺害された女性宮司は事件の直前、神社本庁の腐敗を訴え、

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田中恆清(→)が総長になったころから、

 神社本庁の組織が、急激におかしくなった」

ことなどが離脱の理由と明かしていた。

このほか、全国4万社という神社界の最大勢力、「八幡宮」の総本宮、宇佐神宮(大分県)でも、神社本庁執行部が送り込んだ子飼いの宮司と、地元神社関係者や住民らが対立し、18年には市民団体が宮司退任を求める署名活動を始めた。

さらにここにきて、各地の下部組織である各県神社庁からも、神社本庁への非難の声がにわかに高まっている。

今年3月、熱田神宮を抱く愛知県神社庁が

「神社本庁内における一連の疑惑は、

もはや看過できない!」

という決議書を神社本庁に提出した。

4月には神奈川県神社庁と福島県神社庁が、不動産売買疑惑や神社本庁幹部の不倫疑惑に対し、

「包括下の全国神社の名誉を著しく損ねる!」

とする決議書を出した。

九州地区の6県の神社庁が連名で、神社本庁の新型コロナ危機管理対応を激しく非難する緊急提案書を提出した。

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「現在の神社本庁執行部への不信感が強い

 熱田神宮出雲大社(→)が金刀比羅宮に続けば、

 神社本庁は、文字通り瓦解しかねない」

と前出の神社本庁関係者。

一方、神社本庁の教化広報部は、金刀比羅宮の離脱理由について

「分からない」

としている。

 


シュールな観音さま

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 いったい何をすれば

  こんな観音さまを建てられるほど

 儲かるの?  (^_^;)

 

仙台大観音は、真言宗智山派に属している大観密寺に建つ像で、仙台の実業家の方が、自身の事業が成功を収めたのは、日頃から信仰していた観音様のおかげであるとして建立を発願。

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1991年9月に開眼法要が営まれました。

高さは台座を含めると地上100メートルで、世界でも有数の高さを誇る像として知られています。

ちなみに、自由の女神(→)は93メートル。

この像は仙台駅から7キロメートルほどの場所にあるのですが、市内から像を撮影した写真が、非現実的過ぎるとして海外で話題に。

外国人から様々な声が寄せられていましたので、一部をご紹介します。

 

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中止 祇園祭の山鉾巡行

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 事前準備が大変な催事なので

  中止するなら早めに

 決める必要があります (T_T)

 

中国コロナウイルスの感染拡大防止のため、日本三大祭りの一つ、京都「祇園祭」のハイライトとなる山鉾巡行と神輿(みこし)渡御を中止すると、祭りを斎行する八坂神社(京都市東山区)と巡行を主催する祇園祭山鉾連合会(中京区)が20日、正式に発表した。

各山鉾を建てるかどうかは6月上旬まで様子を見て判断するという。

山鉾巡行の中止は、阪急電鉄の地下工事による昭和37年以来58年ぶり。

応仁の乱や第二次世界大戦でも中止となったケースがある。

祇園祭は疫病退散の祭りとして知られ、7月の1カ月にわたり、さまざまな神事が執り行われる。

祭りのハイライトとなる山鉾巡行では、7月17日の前祭(さきまつり)に23基、後祭(あとまつり)の24日には11基の山鉾が京都市中心部を巡行する。

昨年の前祭には約12万人が訪れた。

同連合会では、山鉾巡行や市内中心部が歩行者天国となる宵山などに大勢の観光客が押し寄せるほか、山鉾に乗り込む人らも密集・密接になることから、中国コロナの感染拡大が懸念され、従来通りの実施は困難と判断した。

祇園祭は平安時代の869(貞観11)年、全国に疫病が蔓延し、当時の国の数と同じ66本の矛(ほこ)を立てて、祇園社(現在の八坂神社)から神輿を神泉苑(中京区)に送り疫病退散を祈願した祇園御霊会が始まりとされる。

昨年は創始1150年にあたり、さまざまな関連行事を行った。