金曜日, 23 of 10月 of 2020

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世田谷・杉並の真っすぐ道路

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今回、九州や広島を旅したんですけど、特に博多の街の道路が広いのが印象に残りました

道がまっすぐで、車道だけでなく歩道も広いので、歩いていてとても気持ちがいい

これは「太閤の町割り」と言われる、豊臣秀吉による都市計画のおかげだそうです

秀吉の若い頃の、大らかな性格が伝わってきます

一方、東京は徳川家康が作った町ですが、道が狭くてぐにゃぐにゃ曲がっている

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これは猜疑心の強い家康が、敵から攻められた場合を考えて、わざと攻めにくい都市計画をしたことに関係があるらしい

用心深い家康のおかげで、日本人は世界でもまれに見る260年間もの長い平和を享受した訳ですが、都市計画には向いてない性格だったようです

(^_^;)

 

* * * * * * * * * *

 

世田谷区と杉並区にわたって、8km以上続く一直線の道路があります。

都道に指定されているこの道路、成り立ちは大正時代までさかのぼります。

地図で都内を見ていると、小田急の祖師ヶ谷大蔵駅付近から丸ノ内線の新高円寺駅付近まで、一直線に道路が走っているのが見えます。

この道路は東京都道・高円寺砧浄水場線に指定されています。

現地に行くと、大部分がセンターラインのない狭い道路ですが、ほぼ全線が直線のため、道路がはるか遠くまで続いていくのを見通すことができます。

東京の街並みは武蔵野台地とそれを川が浸食していった地形の関係で起伏が大きく、道路もその起伏に合わせてほとんどが曲がりくねっています。

にもかかわらず、この直線道路はどうしてこんなにもまっすぐ走っているのでしょうか。

実はこの道路の真下には、「荒玉水道」と呼ばれる直径1.1mの水道管が通っています。

荒玉水道はさかのぼること大正時代、増加する東京の人口の水需要に対応するため、多摩川で取水した水を都内に送るのを目的に設置工事が始まりました。

そして、埋設水道管の敷地を歩行者道として活用したのが、この直線道路のはじまりです。

現在は自動車も通行可能となっていますが、水道管への荷重を考慮し、重量制限が掛けられていたり、ラバーポールによって物理的に幅員が制限されているところがあります。

また、狭隘な道路のため、一部区間では一方通行となっています。

この道路を東急バスや小田急バスのバス路線が通っていますが、重量制限のある区間を走る路線は、小型バスで運行されています。

 

 


保育園の運動会

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原宿渋谷を歩く

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古河庭園を歩く

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今日は「都民の日」で、東京都が運営している公園とか動物園が無料公開なので、まだ行ったことのない「古河庭園」へ行ってみました

足尾銅山などを経営していた古河財閥の当主のお屋敷だった場所ですが、戦後の財閥解体でGHQが接収し、さらに国の所有になりました

その後は荒れるままになっていて、幽霊屋敷などと呼ばれていた時期もあったそうですが、1980年ころに東京都に貸し出され、公園として整備されました

もう少しするとバラの花や紅葉が美しいみたいですけど、今日はまだ早かった

(^_^;)

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渋谷を歩く

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内親王会議

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小室圭にも多少の違和感はありますが、最大の問題は母親の小室佳代でしょう

このオバサン、危ない新興宗教の教祖みたいな、変なオーラを出しまくってる

何とも言えぬ不気味な感じがして、こんな人が将来、陛下の親戚になるのは、日本国民の一人として絶対に避けたいです!

それにしても女性の存在感があり過ぎて、男性(陛下、秋篠宮、小室圭)の影が薄すぎる~

((((;゚д゚))))

 

「今年に入り、愛子さまと佳子さまが共にランニングをされている光景をよく目にするようになりました。

お二人は女性皇族方のなかでも大の仲良しで知られています。

新型コロナの影響で遅れてはいるものの、皇居の改修工事が終わり次第、愛子さまは赤坂御用地から引っ越されます。このように気軽に会える時間も残り少なくなってきました。

名残惜しさを噛み締めながらランニングされているものと拝察いたします」(赤坂御用地関係者)

一方、眞子さまの姿を見る機会は少ないのだが、先日は珍しく三内親王で御用地内を散歩していたという。

「過日、めずらしく眞子さまがご自宅から出てきまして、愛子さま佳子さまと三人で、とても仲睦まじそうに御用地を散策しておられました。三内親王が気兼ねなく集まれるのもあと少しかと思うと、心を突くものがります。

ですが途中、佳子さまが突然、眞子さまと愛子さまを引き離すかのように間に割ってはいりました。

その後、眞子さまは足早にご自宅に…。

遠くからだったため何が起きたのかはわかりませんが、ただならぬ気配を感じました」(同前、赤坂御用地関係者)

はたして何が起きたのであろうか?

三内親王のあいだで起きたトラブル。

その真相を解き明かすカギを、秋篠宮家のオクに通じる関係者は教えてくれた。

「眞子さまと佳子さまが口論されているときがありました。

 佳子さまは

あの件で、愛子ちゃんと雅子さまは関係ないでしょ?』

『巻き込むのはおかしい!』

『秋篠宮家のを広めないで!』

と大変強い口調で仰っていました。

話を総合するに、膠着状態にある眞子さまの結婚問題について、雅子さまからの後押しが欲しいことを、眞子さまが愛子さまを通じて依頼されたのではないでしょうか? 

つまり、雅子さまから結婚許可を公にして欲しいと、愛子さまを通じて依頼したのでしょう」(秋篠宮家関係者)

思えば眞子さまと小室圭さんの結婚に“ご裁可”を与えたのは、上皇ご夫妻であり、御代替わりとともに“ご裁可”も無効になったとの見方も強い。

今回の動きについて、元宮内庁職員の小内誠一さんに話を伺った。

「ご裁可そのものがハウスルールなので、何か法的拘束力があるわけではありません。

ですが、皇室内において“ご裁可”は決定的な意味を持ちます。

これまで“ご裁可”が覆った例もありますが、先代が下したものを、次代が取り消した先例はありません。

眞子さまとしては、先代のご裁可の効力が今も続いていることを明確にするために、愛子さまや雅子さまに近づき、新たに“ご裁可”を下していただきたいと懇願したとしても奇異なことではないでしょう。

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なにより今月11日に紀子さまが54歳の誕生日にあわせて発表した文書では

『長女(眞子さま)の気持ちを

 できるだけ尊重したい』

親の情を滲ませましたが、『できるだけ』という5文字が入っています。

現状でそのまま両親が結婚をお認めになる可能性は低い。

なので、やはり天皇家の後押しが欲しいというのが眞子さまの本音でしょう」(小内誠一さん)

はたして眞子さまの依頼を受け、今上陛下や雅子さまが何らかのコメントを発表する可能性はあるのだろうか?

さる宮内庁関係者は次のように断言する。

「天皇陛下も雅子さまも“大人”です。

 秋篠宮家が結婚を強行されれば、何らかの形で祝辞は述べられるでしょう。

 ですが、眞子さまの“お気持ち発表”よりも前に、何かコメントを発せられることはないでしょう」(宮内庁幹部)

 


上野を歩く

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▲東京国立博物館

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小室佳代の叫び声

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「朝8時ごろでしょうか、小室佳代一家が住むマンションの一階から

 

『うおおおぉおお!

 勝ったぁああああ!』

 

 という大きな叫び声が聞こえました。

 あれは小室佳代の声で間違いありません。

 ちょうど朝のテレビで、紀子さまの誕生日文章の件を

 放送していましたので…まさに秒速ですね。

 あんなに大きな声なら、皇居まで届いたかもしれませんね(笑)」

 (マンションの住民)

また小室佳代の親友で、圭さん祖父の遺産相続について代理人も務めたこともある人物も次のように語る。

「小室佳代から朝に電話がありました。

『紀子さまがようやく結婚を認めてくれました。

  400万円はもう終わったこと。

 この冬には眞子さまと圭を、

 堂々と結婚発表させます!』

 と喜んでいましたね。

 どうやら紀子さまが誕生日の文章で

『長女の気持ちをできる限り尊重したい』

 と発表したことを、結婚容認と受け取ったようです。

 まだまだ問題が残っているようですが、

 皆が幸せになることを祈っています」

 (小室佳代の親友)

 

眞子さまの想いは“立皇嗣の礼”の後、今年中に発表される見込みだ。

 

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読書 江戸藩邸物語

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先日読んだ『実見・江戸の暮らし』は、主に町人の生活を描いたものだが、この本はその武士バージョンと言える(著者は異なる)

直前まで戦場で殺し合いをしていた荒くれ武士たちが、天下泰平の江戸時代になったからといって、急に頭の回路を切り替えることは出来なかった

17世紀の江戸では、歩いていて刀のサヤがぶつかったとか、道を譲らなかったとか、詰まらない原因で口論となり、斬り合いになることが非常に多かった

「勇と忠」という武士道の2要素のうち、「」が圧倒的に優先されていた

悪く言えば当時の江戸は、凶暴なヤクザや狂犬のような連中がウロウロしている、かなり危険な街だった

そこで遠慮したり後ずさりしたりすれば、「腰抜け武士」と馬鹿にされるので、武士のメンツとメンツが正面からぶつかり合う、実に殺伐とした時代だった

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しかも主君からは「武士にあるまじき卑怯者」として切腹を申し渡されたりする可能性もあるので、互いに一歩も引けない緊張感が満ちていた

やがて江戸幕府や諸藩は、たくさんの法度(行動規範)を定めて対策を講じ、荒くれ武士を平和な時代の従順なサラリーマン武士へと、時間をかけて誘導してゆく

18世紀に入ると、武士道の「」が優先されるようになり、現在の平和な日本が形成されてゆく

本書は、ある藩の江戸藩邸に残された詳細な日記から、当時の「時代精神」をさぐる

(^_^;)


中国コロナ ピークに達した

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 医療リスク至上主義でやってたら

  経済や社会は崩壊してしまいます

 リスク間のトレードオフを考えた

  現実的な対応が必要です  (^_^;)

 

新型コロナウイルスに関する日本感染症学会のシンポジウムが8/20、東京都内で開催された。

日本政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長らが、感染拡大の現状などについて見解を明らかにした。

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尾身茂会長(→)は

「全国的に見ると(中国コロナの感染拡大は)

 だいたいピークに達したとみている」

との認識を示した。

同分科会メンバーの押谷仁・東北大教授も

「大都市で数万人が死亡し、医療が崩壊するといった

 最悪のシナリオの可能性は低まってきた

と指摘。

ただ、接待を伴う飲食店を中心としたリスクについて、さらに低減させる必要があるとした。

また尾身茂会長は、クラスター(感染者集団)の発生が続く中、

「どんなに注意しても現状では、完全な感染予防は不可能だ

「こういった状況では不安が生じるが、心の持ちようや

 対処方法を考えておき、冷静に対応することが重要だ」

と述べた。

その上で

「新型コロナの実態は、この半年でかなり分かってきた。

 クラスターが見つかることは不安ではなく、

 制御できる機会の発見で安心につながると考えてほしい」

と提言。

さらに国に対し、医療機関への人的、財政的な支援を迅速に行うことなどを求めた。

押谷氏は今後の社会のあり方について

「全ての場でリスクゼロを求めると、

 社会や経済の活動を著しく制限せざるを得なくなる。

 新型コロナを正しく評価し、どこまでリスクを許容するかについて

 社会のコンセンサス(同意)を得ていくことが必要だ」

と指摘した。