金曜日, 18 of 9月 of 2020

小さなガリレオ

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最近、こんな投稿がSNS上で話題になっていた。
小学3年の理科のテストで「時間がたつとかげの向きがかわるのはなぜですか」という問題が出され、「地球が回るから」と答えたところ、バツをつけられたというのだ。
教師がテスト用紙に赤字で書き込んだ正解は、「太陽が動くから」。
「学習したことを使って書きましょう」というコメントも添えられていた。
この理不尽な仕打ちを受けた小さなガリレオの気持ちを思うと、私の心は痛む。
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「3.9+5.1」で「9.0」と答えたら減点!
  「9」が「正解」
 なのだそうです  (;´Д`)
 

 

[写真]異端審問の場で「それでも地球は回っている」と本当にガリレオ・ガリレイが言ったのかについては諸説あるが、この小学3年生にはぜひ伝えてあげたい言葉だ(Photo by GettyImages)
異端審問の場で「それでも地球は回っている」と本当にガリレオ・ガリレイが言ったのかについては諸説あるが、この小学3年生には、ぜひ伝えてあげたい言葉だ(Photo by GettyImages)

三田一郎著『科学者はなぜ神を信じるのか』に興味深い逸話が紹介されている。
180px-Urban_VIII17世紀、地動説を説く『天文対話』を出版したガリレオを異端審問にかけたのは、教皇ウルバヌス8世(写真左)。
だが実は、ウルバヌス8世は枢機卿の頃、地動説の熱心な支持者であり、ガリレオとは宇宙について語り合う仲だったというのだ。
要するにこの教皇は、自身の理性や昔の友情よりも、「教会」の権威を保つことを選んだのである。
前述の教師もまた、自らの判断や子どもの自由な考えよりも、教師の権威を重んじたわけだ。
体制や政権の維持、イデオロギーや政策の実現のために、科学が歪められる。
真実が踏みつけにされ、間違った方向に舵が向けられる。
歴史を振り返ってみても、それはけっして珍しいことではない。
政治家たちは、自分たちに都合のよい”学説”を拾い上げ、陰に陽に肩入れする。
研究者の中にも、ときに科学的な正当性をないがしろにしてまで、政権の中枢に接近していこうとする者が現れる。
動機は本人の思想・信条だけでない。権力への志向や研究費の獲得という側面も見え隠れする。
彼らの目論見が成功したときの被害は甚大だ。
科学の歩みがそこで大きく遅れるというだけではない。社会全体に誤った自然観が植えつけられることさえある。
客観性を装った科学者の言葉は、政治家のそれよりも容易く人々に信じられてしまうのだ。
イデオロギーが世界を牛耳っていた時代に起きた、有名な事例がある。

ルイセンコ事件

事件の舞台は1930年〜60年代の旧ソビエト連邦。
主人公は農学者のトロフィム・ルイセンコである。
ルイセンコは、秋まき小麦の種を低温で保存してから春にまくと(春化処理)、春まき小麦よりも収穫が増えると主張し、農業生産性の低さに悩まされていたソ連政府から注目されるようになった。
この主張自体、再現性も根拠もないニセ科学だったのだが、ルイセンコは独自の学説をさらに拡張していく。
当時すでに世界で定説となっていたメンデル流の遺伝学(生物の遺伝的性質は遺伝子が決定する)を否定し、獲得形質は遺伝する(遺伝的性質は環境や学習によって変化する)という主張を繰り広げたのだ。

[写真]1930年代、故郷ウクライナの小麦畑で穂の成長を計測する当時30代のルイセンコ(右下)と、熱心に見守る農家の老人(Photo by GettyImages)
1930年代、故郷ウクライナの小麦畑で穂の成長を計測する当時30代のルイセンコ(右下)と、熱心に見守る農家の老人(Photo by GettyImages)

そして、1940年。ルイセンコは、ソ連科学アカデミー遺伝学研究所所長で遺伝学の第一人者、ヴァヴィロフを失脚させることに成功し、その後任におさまった。
ソビエトの生物学界を実質的に支配するようになったのである。
ルイセンコ学説がスターリンら共産党首脳部の支持を得たのには、イデオロギー的な理由があったといわれている。
その時代、政府の御用学者たちは科学理論の中身にまで階級闘争を持ち込み、あらゆる学説を「ブルジョワ科学」と「プロレタリア科学」に色分けしようとしていた。
メンデル流の遺伝学は、機械論的、観念論的なブルジョワ科学。
一方のルイセンコ学説は、生物が環境との相互作用によって“自己発展“していくという点でマルクス主義的であり、唯物論的弁証法を体現するプロレタリア科学の範例とされたわけである。
第二次大戦が終わり、冷戦が始まると、ルイセンコは科学アカデミーにおけるスターリンと化した。正統な遺伝学者など、自説に反対する科学者たちを「反動的」であるとして吊るし上げ、次々と追放していったのだ。
主導する農業計画が何の成果も上げなかったにもかかわらず、ルイセンコは30年近くにわたってソ連生物学界に君臨し続けた。
実験データ改ざんなどの疑いで政府の委員会に告訴され、遺伝学研究所所長を解任されたのは、1965年。
その間停滞していたのは農業だけではない。急速な進歩をとげていた西側諸国の遺伝学から、ソビエトの生物学界は完全に取り残されてしまった。
政治とニセ科学を結託させてしまったがために、大きな代償を払う羽目になったのである。

プレートテクトニクスを拒んだ科学者たち

一般にはほとんど知られていないが、実は日本でも似たようなことが起きていた。
生物学の分野ではなく、地球科学――「プレートテクトニクス」の受容においてである。
中央海嶺で生まれたプレートが、沈み込み帯で大陸地殻の下にもぐり込み、それが地震や火山活動を引き起こす。
大きな地震が起きるとそんなイラストがニュースに頻繁に登場するので、よくご存じだろう。
日本列島を形成した造山運動も、突きつめればプレートの沈み込みによるものだ。
プレートテクトニクス理論が欧米で生まれ、ひととおりの完成をみたのは、1960年代。
それほど昔のことではない。
当然日本にも研究の進展がその都度紹介され、地球物理学(地震、重力、地磁気など)の研究者たちはすぐさまその流れにのった。

[写真]プレートの運動が大陸を動かし、造山活動や地震活動の原因になるというプレートテクトニクス理論。地震災害の解説などでもおなじみの、こうした説明だが、日本では一部の科学者から意外な抵抗を受けた(Photo by GettyImages)
プレートの運動が大陸を動かし、造山活動や地震活動の原因になるというプレートテクトニクス理論。地震災害の解説などでもおなじみの、こうした説明だが、日本では一部の科学者から意外な抵抗を受けた(illustration by iStock)

ところがだ。地層や岩石を専門とする地質学の研究者たちは、その大半がプレートテクトニクスを批判し、拒絶した。
それを受け入れさえすれば、日本列島の複雑な地質構造と発達史を整合的かつシンプルに説明できるにもかかわらず、である。なぜか。
実は当時の日本地質学会は、「地学団体研究会」(地団研と略す)というマルクス主義色の濃い団体の支配下にあったのだ。
そのあたりの科学史的な動きは、泊次郎著『プレートテクトニクスの拒絶と受容』の中で詳しく解説されている。
泊氏によると、地団研は、日本地質学会の会長や評議員の候補者を推薦し、多数当選させることで組織の実権を握っていったという。
1970年代初めには、地質学会の会員のほとんどが地団研にも所属していたらしい。
地団研の地質学者たちは、日本列島形成論として「地向斜造山論」なるものを信奉していた。
詳しくは述べないが、地向斜という地質構造が“自己運動”によって山脈を形成するという理論である。
これがルイセンコ学説同様、マルクスの歴史法則主義と親和的だと考えられたわけだ。
1973年に小松左京の『日本沈没』がベストセラーになると、多くの国民がプレートテクトニクスというものを知った。
また、同年から高校地学の学習指導要領が変わり、地向斜造山論にかわってプレートテクトニクスが教えられることになった。
一般市民や高校生がそのエレガントな理論を抵抗なく受け入れていく中、その道のプロである地団研の地質学者たちだけが地向斜造山論にこだわり、プレートテクトニクスを頑迷に拒み続けたのだ。
今振り返れば、その姿は滑稽にも映る。
泊氏によれば、日本の地質学者たちがごく当たり前にプレートテクトニクスを前提とした議論を展開するようになったのは、1985年以降。
地球物理学分野や一般社会に遅れること10年以上ということである。

「科学」か、「プロパガンダ」か

科学が歪められたのは左翼陣営に限った話ではもちろんない。
冷戦下のアメリカでは、軍拡のために科学があからさまな抑圧を受けた。「核の冬」論争である。
1980年代初め、レーガン政権は戦略防衛構想(SDI)を打ち出そうとしていた。
スター・ウォーズ計画として知られるこの構想は、飛んでくる弾道ミサイルを宇宙に配置した兵器で破壊しようというものだ。

[写真]マーティン・マリエッタ社(現ロッキード・マーチン)の工場でSDI構想で配備する衛星兵器の模型を前に演説したレーガン大統領。構想の発表は前日まで国防総省幹部にも伝えられなかったという(Photo by GettyImages)
マーティン・マリエッタ社(現ロッキード・マーチン)の工場で、SDI構想で配備する衛星兵器の模型を前に演説したレーガン大統領。構想の発表は前日まで国防総省幹部にも伝えられなかったという(Photo by GettyImages)

アメリカの科学者たちは、この構想は東西の軍拡競争を加熱させるだけだと考えた。
SDIが実際に配備された場合、東側陣営とすれば、より多くの核弾頭を打ち込む必要が出てくるからだ。
東側が核ミサイルの数を増やせば、西側も当然それに対抗することになる。
SDIに反対の声を上げた科学者の一人が、かの有名なカール・セーガンである。
セーガンはNASAの太陽系探査計画で指導的役割を果たした惑星科学者で、彼が司会をつとめた科学ドキュメンタリー番組『コスモス』は世界中で人気を博した。

[写真]『コスモス』をはじめとするテレビ番組や書籍で宇宙について一般向けの解説を積極的に行い、カリスマ的な人気を得たカール・セ-ガン。写真は1974年1月、CBSのスタジオにて(Photo by GettyImages)
『コスモス』をはじめとするテレビ番組や書籍で宇宙について一般向けの解説を積極的に行い、カリスマ的な人気を得たカール・セ-ガン。写真は1974年1月、CBSのスタジオにて(Photo by GettyImages)

セーガンとNASAエイムズ研究所の研究者たちは、核兵器の使用によって発生する大量の塵が気候にどのような影響を及ぼすか、数値シミュレーションを試みた。
その結果、たとえわずかな量の核爆発でも地球は闇に包まれ、数ヵ月にわたる極端な寒冷化――「核の冬」が続くことが明らかになったのだ。
セーガン自身の人気と巧みなメディア戦略によって、「核の冬」説はまたたく間に世間に広まり、アメリカ国民はその災害の深刻さを恐怖とともに認識した。
そうなると黙っていないのが、アメリカ政府のブレーンを務めてきた御用学者たちである。
物理学者のフレデリック・サイツら右派の大物数人が中心となり、保守系シンクタンク、ジョージ・C・マーシャル研究所を設立する。

[写真]SDI構想発表の場にもいたフレデリック・サイツ。ナチスドイツより先に、原爆を開発すべきだとアメリカ政府に働きかけ、マンハッタン計画の生みの親の一人でもある物理学者ユージン・ウィグナーに師事。晩年は地球温暖化懐疑論を唱え、京都議定書に反対する活動を行った(Photo by GettyImages)
SDI構想発表の場にもいたフレデリック・サイツ。学生時代は、ナチスドイツより先に原爆を開発すべきだとアメリカ政府に働きかけ、マンハッタン計画の生みの親となったドイツ系ユダヤ人科学者たちの一人でもある物理学者ユージン・ウィグナーに師事した(Photo by GettyImages)

ナオミ・オレスケス、エリック・M・コンウェイ著『世界を騙しつづける科学者たち』によれば、彼らはみなNATOの科学顧問や政府の要職に就いた経験があり、反共主義かつタカ派で、核や軍事関係の研究でキャリアを築いてきた冷戦の申し子であった。
マーシャル研究所のメンバーは、ただちにセーガンらへの攻撃を開始した。
「核の冬」で用いられた物理モデルは自然を単純化しすぎている。気温低下を緩和するような要素を故意に無視しており、結果に信ぴょう性はない。科学とはとてもいえない、左翼勢力によるプロパガンダである――。
こうした反論を真に受けた人々は、確かにいたらしい。
セーガンはたびたび何者かから脅迫を受けるようになり、大学へは裏口から出入りする日々が続いたという。
もっと恐ろしいのは、マーシャル研究所が「公平性の原則」を盾に、テレビ局やジャーナリストに脅しをかけたということだ。
「核の冬」について報道するのであれば、自分たちの見解にも同じだけの時間や紙面を割けというのである。
しかし、このような両論併記は、けっして公平ではない。
セーガンらの研究結果については他の多くの研究者らによって批判的に検討され、(気温低下の度合いについては議論が残ったももの)結論の大筋については科学コミュニティの中でコンセンサスが得られていたのだ。
それに対し、マーシャル研究所の主張を支持したのは、ごく少数の保守派科学者だけである。
こうした科学者たちは、科学よりもむしろ政治に対して忠実なのだ。
彼らの主張は権力という拡声器によってばらまかれ、社会にねじ込まれていく。
これこそまさにプロパガンダである。
そして今、アメリカ社会はある問題で大きな岐路に立っている。
「地球温暖化否定論」だ。
政界と経済界のたくらみは、国民に科学への疑いを抱かせることに成功しつつある。
このうねりがアメリカ国内だけにとどまることはないだろう。
大げさでなく、科学は今、危機に直面しているのだ。
 


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