火曜日, 1 of 12月 of 2020

あれから4年

WS000003
——-2013年8月23日の記事——-
歌手・藤圭子さん(62)が8月22日、新宿区内のマンションから転落死した。
マンションには30代の知人男性と同居しており、自殺とみられる。
「圭子の夢は夜ひらく」などのヒットで知られる。
藤さんは79年に 引退して渡米。96年には、娘の歌手・宇多田ヒカル(30)と一緒に新曲をリリースした。近年は表舞台から姿を消しており、消息もはっきりしていなかっ た。
昭和の歌姫が、衝撃的な形で人生の幕を下ろした。
大好きだったのに・・・
超ショック! ((((T_T))))

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52418542685461←現場マンション
警視庁新宿署などによると、藤さんは、22日午前7時ごろ、西新宿 のマンション前の路上で、頭から血を流しあおむけに倒れているのを通行人に発見された。
Tシャツに短パン姿で意識はなく、心肺停止状態で病院に搬送され、 間もなく死亡が確認された。
争ったような跡や衣服の乱れなどがないことから警視庁は自殺を図ったとみている。
身元がわかる所持品はなかったが、飛び降りた可能性がある28階建てマンションの13階の部屋を同署員が訪ねたところ、藤さんの知人の30代男性の自宅であることが判明。
藤さんはこの男性と6年ほど前から同居していたという。
男性は就寝中で、前夜は一緒だったはずの藤さんの不在を、この時知ったという。
高さ約1メートルのベランダの手すりの外側にスリッパの片方が残され、もう 片方は、藤さんが倒れていた現場近くに落ちていた。
遺書などは見つかっておらず、衝動的な行動だった可能性もある。
新宿署によると藤さんの遺体は「元旦那 さんに確認いただいた」としており、07年に離婚した音楽プロデューサー・宇多田照實氏(65)とみられる。娘の宇多田は立ち会っていない。
 
歌手の藤圭子さんが飛び降り自殺したとみられる東京都新宿区西新宿の高層マンション周辺には、100人以上の報道陣が詰めかけ、一時騒然とした雰囲気に包まれた。
現場は、JR新宿駅の北西約1キロで、オフィスビルや高層マンションが建ち並ぶ一角。
向かいのマンションに住む男性会社員(55)によると、午前7時ごろ、「ドーン」という大きな音が聞こえ、その後にサイレンを鳴らした救急車やパトカーが続々と集まってきたという。
男性は「外に出ると、路上に直径1メートルぐらいの血だまりが広がっていた。直前に言い争う声など変わった様子はなかったが、飛び降りたのが藤さんだと知ってびっくりしている」と驚いた様子で話した。
藤さんは22日午前7時ごろ、マンション前の路上であおむけの状態で倒れているのが見つかった。病院に搬送されたが、間もなく死亡した。
 

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WS000000 歌手の藤圭子さんの訃報を受け、ネットのアマゾン「歌謡曲のベストセラー」ランキングで、藤さんの作品が多く上位に入っている。
藤さんは、「圭子の夢は夜ひらく」の大ヒットや、歌手の宇多田ヒカルさんの母親としても知られる。
62歳だった。
藤さんの死亡から一夜明けた2013年8月23日のランキング(13時20分現在)をみると、トップ10のなかで7曲も藤さんの作品が占めて いた。
1位も「藤圭子 GOLDEN☆BEST」で、NHK朝ドラで人気の「あまちゃん」関連作品「春子の部屋 あまちゃん80’s HITS」を2位に抑える強さを見せた。
ほかに、3位「圭子の夢は夜ひらく 藤圭子RCA BEST COLLECTION」、4位「新宿の女」(2013年4月版)、5位「女のブルース」、7位「新宿の女」(1999年版)、8位「藤圭子ベストヒット」、10位「ゴールデン・エラ」と続いた。
藤さんの歌は、動画のユーチューブ(YouTube)でも紹介されており、コメント欄には、「ご冥福をお祈りします」「合掌」などと悼む声が寄せられている。
 

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88a6783069年「新宿の女」でデビュー、藤さんは独特のハスキーボイスが魅力で、数々のヒットを飛ばしたが、79年に突然引退して渡米。
その後は、90年代半ばに照實氏とヒカルの3人でCDを発売したが、その後は表舞台から姿を消していた。
現役当時を知る関係者によると、感情の起伏が激しく気分が高 揚することもあれば、落ち込むようなこともあったという。
別の関係者は「普段から、とにかく無口な人だった。忙しいこともあり、周りとの交流や歌手仲間の 友達とかはいなかったのでは。孤独な方だった」と話している。
昨秋、長年にわたって藤さんの付き人を務めていた女性が死去し、仕事仲間な ど多くの関係者が集まったが、藤さんは葬儀に姿を見せず、藤さんの消息を知る人もいなかったという。
23日には藤さんを見いだし、育てた恩師で、今年3月 に死去した作詞家・石坂まさを氏(享年71)のお別れ会が都内で開催される。ある関係者は「先生の元へ行ったのかな。一緒に幕を閉じたかったのかな」と涙 をこらえながら話していた。
 

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126467145005816106798_7e37fd04東 京・西新宿の高層マンションから飛び降りて亡くなった藤圭子さん(享年62)。昭和の歌姫として一世を風靡し、娘の宇多田ヒカル(30)をトップス ターに育て上げた母親としても知られる。何度も繰り返した結婚離婚、謎の同居男性、そして周囲に見せていた奇妙な行動。なぜ、冷たいコンクリートの上で最 期を迎えなければならなかったのか。死のダイブの全真相-。
藤さんが最期を迎えた現場は、東京メトロ丸ノ内線西新宿駅から西に徒歩6分、西新宿6丁目にある高層マンション(28階)だった。
警視庁などによると、藤さんは13階にある知人の30代男性宅に約6年前から同居。22日午前7時ごろ、マンション前の路上であおむけに倒れているところを通行人が見つけ、110番通報した。男性宅から飛び降り自殺を図ったとみられる。
地上に落下し動かなくなった姿を目の当たりにした住民の1人は「ガードレールのすぐそばであおむけに倒れていた。顔はきれいでしたが、頭の周りは血だまりになっていた」と振り返る。
別 の男性会社員(37)は「救急隊員が抱きかかえてストレッチャーに乗せて、心臓マッサージしていたが、駄目だと思った。瞳孔が大きく開いていた。右側頭 部は陥没し、口と耳から血が垂れていた。拒食症の人みたいにやせていた」。心肺停止状態で病院に搬送されたが、間もなく死亡。警視庁では遺書がなかったこ とから引き続き動機を調べている。
この日は恩師で作詞家、石坂まさをさん(享年71)のお別れ会の前日だった。
不可解なのは62歳の藤さんと30代知人男性の関係だ。少なくとも20歳以上の差がある。関係者によると、内縁関係はないとされ、ともに別々の部屋で寝ていたという。
同居するマンションは2006年10月に竣工し、13階には9部屋がある。男性宅は約70平方メートルの2LDKとみられ、約6年前からの付き合いを踏まえると、竣工ほどなく同居したことになる。
不動産関係者は「居住する階によっても違ってくるが、70平方メートルなら6000万円台、借りても30万円近くはする」。
別の不動産関係者は「所有権は男性が持っていると聞いたので、かなり財力があるのだろう。借りたとしても月30万円近くの家賃を払えるわけだし」。2人はどこで知り合い、同居することになったのか。関係者は一様に首をひねる。
藤さんは人気絶頂の1971年、前川清(65)と結婚し、翌72年に離婚。その後、渡米し、現地で日本人男性と親しくなる。それが82年に再婚する音楽プロデューサーの宇多田照實(てるざね)氏だった。83年に長女、宇多田光(芸名・ヒカル)を出産した。
不可解なのは2007年に離婚するまで照實氏と計7度も離婚再婚を繰り返したことだ。
「夫 婦の空気が変わったのは、藤さんが06年3月、米ニューヨークの空港で米国司法省麻薬取締局に4900万円相当(当時)の現金を一時、没収されたこ と。探知したのは麻薬犬だったため、薬物との関連を調べられたが、結局、シロだった。その翌年に離婚した」(音楽プロデューサー)
ここ 数年、藤さんは「精神的にまいっていた」(関係者)という。実際、テレビ朝日が06年にインタビューした映像の中で、藤さんは「あれ(藤圭子)はもういな いんだから。人からもらった曲を生活のためにただ歌っていただけ」と語ったり、「私はラッキーだと思っている。神様に助けられて。目は治らないけどね」と 目の障害を告白したり。突然歌い出したりもするなど感情の波が一定しない様子がうかがえる。
 

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index22日に東京・西新宿のマンションから転落死した歌手・宇多 田ヒカル(30)の母で、歌手の藤圭子さん(享年62)が23日、安置されていた東京・新宿署から都内の斎場へ移送された。
藤さんの遺体には前夫で音楽プ ロデューサーの宇多田照實氏が付き添った。宇多田ヒカルの姿はなかった。
同署によれば、この日までに死体の検案が終わり、事件・事故性がないことから、自殺と断定された。
藤さんの遺体を乗せた黒のワンボックスカーは午後0時15分頃に同署を出て、同1時ごろに斎場に到着し、改めて安置された。
後部座席には照實氏に同乗していた。宇多田は報道陣の前に姿を見せなかった。
宇多田は21日午後2時現在、ツイッターを更新しておらず、沈黙を守っている。
藤さんと照實氏は07年に7度目の離婚をした。藤さんは、転落したマンションで30代の知人男性と6年前から同居していたとされ、離婚の時期と符号する。
藤さんと照實氏は82年に結婚。翌83年に宇多田が誕生した。86年には離婚し、2週間後に復縁。その後も離婚、再婚を繰り返した。
宇多田は06年、テレ ビ番組で「この2人(両親)、6回結婚と離婚を繰り返してるんですよ。訳分かんない。小さいころ、泣きながらお父さんとお別れしたら、1カ月ぐらいした ら、また家にお父さんがいて、(母が)『あ~、そう、また結婚したの』とか、多かったですよ」と明かしていた。
藤さんについて、宇多田はかつて、「まったく常識にとらわれない人」「凄い距離が遠くて絶対触れ合えない、みたいな人。(母と)直接関わったって気分はまったくしないんですよ」と話すなど、複雑な家庭環境で育った孤独感をにじませることもあった。
 
藤さんが自宅として使っていたマンションには、約20人の報道陣が詰め掛けたが、関係者の出入りはなく閑散としていた。
近くに住む70代 の元内装業の男性は、約25年前、宇多田のレッスン用の鏡を自宅に取り付けたことがあるという。
「藤さんは家族のことは一切、話さない人だったが、夏祭り にはよく来ていた。何も死ぬことはないのに」と話した。
昨年末に近所で会ったのが最後で、「最近はここに住んでいたかも分からない」と話していた。
 

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57648776896526 歌手、藤圭子さんの衝撃死は、日本中を驚かせた。
近年は宇多田ヒカル(30)の母として注目されたが、その人生は波瀾万丈。
貧しい幼少期を過ご し、作詞・作曲家の石坂まさをさん(享年71)に才能を見いだされ、18歳で歌手デビュー。ヒット曲を連発し、一流歌手の仲間入りを果たした。
その半面、 私生活は結婚、離婚を経験。引退、電撃復帰、金銭トラブルなど、激動の62年間だった。
藤さんは、浪曲歌手の父、三味線演奏者の母>のもと、北海道旭川市で育った。
生活は貧しく、67年に一家で上京。
東京・墨田区の錦糸町近辺で、目の不自由 な母とともに、流しで歌っていた。
当時を「小さいころから地方巡業。苦しいことはたびたび」と、振り返ったこともあった。
しかし、必死に歌う姿が音楽関係者の目に留まり、石坂さんのプロデュースで、69年9月に「新宿の女」でデビュー。
24時間連続で新宿中のレコード店や、居酒屋をキャンペーンで回り、清楚なルックスと圧巻の歌声で80万枚超の大ヒットとなった。
その後も、石坂さんとのコンビで「圭子の夢は夜ひらく」などヒット曲を量産し、「日本歌謡大賞」や「日本レコード大賞大衆賞」ほか数々の賞を受賞。
「歌うことは私の宿命。体の底に染みついた演歌を、モダンに歌っていきたい」と語っていた。

 

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28767487826 22日朝、東京・新宿区の高層マンション前の路上で頭を強く打った状態で亡くなっているのが発見された歌手の藤圭子さん(享年62)。
飛び降り自 殺とみられ調べが進んでいるが、遺書は見つかっておらず、詳しい経緯はまだ不明。
藤さんは、過去には、米ニューヨークのJFK国際空港で、現金42万ドル の大金を押収されたことも。
当時、元夫で音楽プロデューサーの宇多田照實氏(65才)やひとり娘の宇多田ヒカル(30才)への不信感を語っていたという。
ニューヨークのJFK国際空港で押収された現金が約42万ドル、日本円にしておよそ5000万円(当時)。藤圭子はそれを手荷物に入れて持ち歩いてい た。
事件が発覚してから3週間以上たったが、藤はこの不可解事件について、自分の口ではいまだにきちんとした説明をしていない。
実はそんな彼女が、事件後の10月初旬にひっそりと日本に帰国していた。彼女に会った知人のひとりがこう語る。
「今回の件に関して、藤さんは“JFKの職員はおかしい。私は世界各国を大量の現金を持って回っているけれども、どこの空港でもこんな目にあったことはない”といっていましたね」
そんな藤の憤りの一方で今回の事件では、押収品の中に他人名義の小切手も一緒に含まれていたことが明らかになっている。その名義人は、以前藤のアシスタントを務めていたというA氏。ニューヨークの捜査関係者がいう。
「彼は2005年に藤とオーストラリアに旅行に行った際、多額の現金を所持していたため、通貨法違反で現地当局に逮捕されているんです」
藤にとっては、現金をめぐるトラブルは今回の件が初めてというわけではなかったようなのである。それはともかく前出の藤の知人によれば今回の事件に関して、藤が強く訴えたのは家族への不信だったという。
「藤さんは“今回の件はすべて家族のせいだ”というんです。“旦那も冷たいし、家族とも疎遠になって、ほとんど一緒にいない。寂しいし、ほかにもいろいろあって人間不信になっている。だから現金を持って、好きなギャンブルをして歩いている”と、切々と訴えるんですよ」
ギャンブル放浪の日々、その原因は家族という藤。また、今回の来日時に藤に会った芸能関係者は、崩壊のきっかけについてこう聞いたという。
「娘のヒカルが4年前に紀里谷さん(紀里谷和明氏・写真家、映画監督)と結婚するときに、ヒカルの個人事務所の役員を外れてほしいと家族に迫られた そうなんです。
結局、役員は外れなかったそうですが、“家族からそんなこといわれると思わなかった。それから人間が信じられなくなった”といっていまし た」
つまり、“断絶”は宇多田ヒカルが結婚した4年前から始まっていたというのだ。そして藤はその娘・ヒカルについて、感情を抑えきれない様子でこう続けたという。
「ときには少し涙ぐむ様子で“ヒカルは冷たい”と何度も何度もいっていました。家族からもう完全に孤立しているという感じでした」(前出・芸能関係者)
かつては仲の良いおしどり親子といわれた藤と宇多田。1998年、宇多田が15才で天才シンガーとして大ブレイクしたとき、藤はこう語っている。
≪最近は宇多田ヒカルの母親といわれています。それがすごくうれしいんです≫
藤の恩師で作詩・作曲家の石坂まさを氏はこういう。
「デビュー直前のことです。『ヒカルは天才だから、歌を聞いてくれ』っていうんで、青山のホテルで純ちゃん(藤圭子の本名)とヒカルくんに会ったんだよ。ほんとにふたりは仲が良くて、純ちゃんは常々、ヒカルくんのことを『天才だ、天才だ』といっていたんだけどねえ…」
夫とも別居しているという藤は娘をとても頼りにしていたようだ。それだけに娘との距離ができてしまったことがこたえているのだろう。
「藤さんは“いまは現金がいちばん信用できる。家族が冷たいから現金を持ってギャンブルに歩くのよ”と寂しそうに何度も話していました」(前出・芸能関係者)
 

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ent13082315340012-p1 藤圭子さんの訃報が駆け巡った22日、芸能界は悲しみとショックに包まれた。
昭和の歌姫に「哀愁酒場」(1977年)など楽曲を提供した歌手で作 曲家の平尾昌晃氏(75)は、サンケイスポーツの取材に「歌手としてカムバックして、歌で日本を励ましてほしかった」と悔しさを吐露。
藤さんには楽曲提供の思い出より、“これから、いい歌をもっと歌ってほしかった”という悔しさが先に立ちます。
最近は、中高年が昔の歌謡曲をカラオケで歌うなど昭和ブームが戻ってきたから、藤さんが歌手としてカムバックしたら、新たな代表曲を残すんじゃないか、と ずっと思っていて。
実は「圭子の夢は夜ひらく」を聴いた時、こんなすごい後輩に僕は勝てない、と歌手から作曲家への道を決断するきっかけになったんだよ ね…。
彼女は哀愁感のある歌声はもちろん、普段も“陰”の印象が強かった。
昔、歌番組で一緒になったときも、みんなが裏で談笑する中、常 に1人でポツンといたり…。
スタッフが一生懸命、彼女を売り込もうとしても『私はキャンペーンをやってまでレコードを売らなくていい』と言ったり。
そうい う人柄も歌の持ち味につながっていたんだろうね。
でも、15年くらい前かな。そんな圭子ちゃんが本当にうれしそうな顔をしていたときがあった。

僕のラジオ番組で彼女が歌ってくれたんだけど、やっぱり圭子ちゃんの歌はいい。
歌手復帰してよと言ったら、『うちの娘は私より上手。先生、娘のデモテープを聴いて』とデビュー前の宇多田ヒカル君のことをすごく自慢していた。
その時はとてもハイだったけど、久々に7、8年前のパーティーで最後に圭子ちゃんに会ったときは一言、二言かわすだけ。
僕が“宇多田君の人気すごいじゃん”と言ったら、『はい』と答えるだけで、パーティーもすぐに帰ってしまった。
気持ちの波が激しかった分、歌にそのまま自分の人生を出して、独特の哀愁感を漂わせていた気がします。
気持ちのはけ口じゃないけど、もっと上手に自分をコントロールすることができたら、カムバックもあったんじゃないか、と悔しい…。
もし、彼女に言葉をかけるなら“命を失うより、歌でみんなを励ましてほしかった。戻ってこられるなら戻ってこい”と言いたいです。(談)
 

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enn1308231533015-p4藤さんの恩師で、作詞家の石坂まさをさんを通じて面識があった作家の大下英治氏は、急死の報を聞いて「えっ、まさか、とは思わなかった」と話す。
「藤圭子を端的に表現すれば、闇と艶、そして狂気だと思う。私はデビュー時からのファンで、『新宿の女』や『命預けます』が好きだった。不良性に満ちた闇 の部分、女ヤクザのような艶、ほとばしり出る血のようなすごみがある。闇を背負った藤圭子にとって、明るさを求める時代は居心地が悪かったのだろう。幸せ というイスに座っているのが似合わない人だった」
大下氏は交流のあった石坂さんを通じ、藤さんと知り合った。
「1996年ごろ藤さん夫妻と娘さん、そして石坂さんと東京・新宿で会食した。私がファンだったこともあり、石坂さんが食事の場を設けてくれた。藤さんが 娘のことを『この子はアメリカで歌の勉強をしているけれど、絶対にデビューするから』と、自信たっぷりに語っていたのを覚えている。1年半後ぐらいに宇多 田ヒカルがデビューして独特の歌い方を聞き、藤圭子のDNAのすごさを感じた」
大下氏は、「こういう時代だから藤圭子の歌をもう一度聞いてみたかった」と残念がる。
「暗闇が消えて明るいことばかりもてはやされる時代を、娘とは違った視点でどのように歌い上げたのか。この年齢で亡くなるのはあまりにもったいない」
東大の学生時代、藤さんの「圭子の夢は夜ひらく」(1970年)に親しんだというのは、音楽評論家の富澤一誠氏。
「60年安保が西田佐知子の『アカシアの雨がやむとき』なら、70年安保を象徴したのが藤圭子さんでした。ニュースでは安田講堂が映るとバックに流れたほど」
若くして陰りのあるハスキーボイスは、当時、体制に懐疑的だった若者の心をもつかんだ。作家の五木寛之さんがエッセー集『ゴキブリの歌』(角川文庫)の中で、「ここにあるのは〈艶歌〉でも〈援歌〉でもない。これは正真正銘の〈怨歌〉である」と断じたのは有名な話だ。
富澤氏が続ける。
「時代の中心にいた(吉田)拓郎、(井上)陽水、かぐや姫といったフォークソング陣営は『打倒・藤圭子』を目指していました」
しかし、栄光は長くは続かなかった。
「藤さんの歌は、“不幸”という看板があって成り立っていた。売れて、結婚して、幸せになり、80年代に入ると、時代はポップスに変わっていた。看板が外れたとき歌手としての輝きがしだいになくなっていきました」と、富澤氏もその才能を惜しむばかりだ。
 

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img_943571_34590801_022日に飛び降り自殺を図った歌手の藤圭子さん(62)は離婚した前夫の宇多田照實氏(65)はともかく、娘ヒカル(30)とも接点を全く持っていなかったようだ。
そのヒカルは22日現在、沈黙を保ったまま。ツイッターでは20日にFM放送の英語の放送禁止用語についてつぶやいているのみで、特に変わった様子はない。
東京・杉並区内の閑静な住宅街にあるヒカルの事務所兼自宅にもこの日、報道陣15人ほどが集まった。3階建ての低層高級マンションで、表 札は「㈲U3MUSIC」「㈱ARTIO」という文字とともに「宇多田」となっている。ただインターホンを鳴らしてみても応答せず、人がいる気配はなかっ た。付近住民は「藤圭子さんは、お見かけしませんね」と話していた。
ある芸能プロ関係者からも「最近はお母さんとは連絡を取っていないのでは? 捜索願を出していたという話もありました」と、ショッキングな話が飛び出した。どうやら藤さんがヒカルを避けていた? そんな状況を証明するような出来事は、昨年も起きていた。
動画共有サイト「ユーチューブ」にアップロードされていた藤さんの動画が削除されていたことに対し、ヒカルは「ダウンロードしておけば良かった」とつづり、「カーチャンのレア映像を保存したかったんじゃ」などとツイートした。
このエピソードも、私生活で母とまったく連絡が取れなかったことを感じさせる。ただツイートから、ヒカルが藤さんを気にかけていたことは間違いなさそうだ。
 

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20101206_1501244_t8月22日に東京都新宿区の高層マンションから転落死した、宇多田ヒカルの母で歌手の藤圭子さん。死因は特定されていないものの、各メディアの報道からは藤さんの“心の闇”が浮き彫りになりつつある。
2006年9月のテレビ朝日のインタビューでは本名の「純子」で取材に応じ、「私はもう藤圭子でもなんでもない。封印した」「原因不明ですけど、 この20年間、吐きまくりの人生です。週に3回は吐いてる。今でもそう。だからどっか悪いと思うんだけど」と体調不良を告白している。「24時間、頭が痛 いし、24時間、口の中が風邪をひいた時みたいに38度の熱があるし。体中痛いですね。それから寝られない」などと次々と症状を訴え、精神的にも肉体的に もバランスを崩していたようだ。
また、スポーツニッポンによると、数年前に新宿区で同紙記者に会った藤は「久しぶりに日本に帰ってきたけど、話す人がいない。寂しい。昔の知り合 いに連絡を取ってみたいけど、電話番号もどこにいるのかもわからない」と孤独を打ち明け、離婚した音楽プロデューサーの宇多田照實氏とは10年近く疎遠に なっており、「もうずっと会っていない」と明かしていたというのだ。
「藤がうつ病を患っているというのは、音楽業界では有名な話だった。人付き合いを避けるようになって対人関係が悪化したり、テレビのインタビューで告白していた摂食障害や吐き気は、うつ病の典型的な症状。以前はかなり強い薬を服用していたようだ」(音楽関係者)
藤さんが亡くなった現場のリポートによると、以前は黒髪が印象的だった藤さんだが、白髪になってすっかりやせ細り、以前とは別人のような容姿に なってしまったため、30代後半の知人男性と約6年同居していたにもかかわらず、藤さんに気づいていた住民はほとんどいなかったという。
「検視の結果、藤さんの体内からは違法薬物やアルコール、睡眠導入剤なども検出されなかったという。ただ、警察は記者から『藤さんはうつ病だったの では』と聞かれると否定しなかったという。症状が回復したと思って薬の服用をやめている時に症状が出て、衝動的に死を選んでしまったのでは……」(全国紙 社会部記者)
一時期は家族として暮らしていたにもかかわらず、藤さんの“心の闇”を埋められなかった照實氏と宇多田はさぞ無念だったに違いない。
 

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22日に東京・西新宿の高層マンションから飛び降り自殺した歌手、藤圭子(ふじ・けいこ、本名・阿部純子=あべ・じゅんこ)さん(享年62)の遺 体が23日、目黒区の斎場、碑文谷会館に搬送された。
長女でシンガー・ソングライターの宇多田ヒカル(30)はこの日も姿は見せず、前夫の音楽プロデュー サー、宇多田照實氏(65)が身元引受人に。
照實氏は関係者を通じ、葬儀はせずに火葬のみとすると説明。
天才歌手として一世を風靡した藤さんは寂しく、旅 立つのか…。
藤さんの遺体は23日午後1時過ぎ、黒い大型ミニバンで碑文谷会館に運び込まれた。
ストレッチャーにのせられた遺体には白い布がかぶせられていたが、最近はやせ細っていたのか、布の上の膨らみからは遺体が運ばれているのが分からないほ ど。
神妙な面持ちで付き添った照實氏は関係者を通じ、
〔1〕故人の遺志により、面会は家族のみとする
〔2〕故人の遺志により、葬儀はしない。火葬のみとす る
〔3〕出棺日は未定
-と説明した。
その後、手続きなどを済ませた照實氏は同4時10分ごろ、白いワンボックスカーで外へ。
斎場の電気は 消され、鍵もかけられて周囲は静まりかえった。
近年はほとんど表舞台に出ていなかったとはいえ、1970年代に「圭子の夢は夜ひらく」などで一世を風靡し た故人にしては、意外なほどひっそりとした別れだ。
 
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img_1400056_14012858_122日に自殺した歌手の藤圭子さん(享年62)の長女でシンガーソングライターの宇多田ヒカル(30)が26日、公式サイトにメッセージを掲載。
母の死 について「母が長年の苦しみから解放されたことを願う反面、彼女の最後の行為は、あまりに悲しく、後悔の念が募るばかりです」と辛い胸中を吐露した。
「様々な憶測が飛び交っているようなので、少しここでお話をさせてください」と切り出した宇多田は、藤さんが長期間「精神の病に苦しめられていた」と明か し「何が彼女のために一番良いのか、ずっと悩んでいました」と告白。
「幼 い頃から、母の病気が進行していくのを見ていました。症状の悪化とともに、家族も 含め人間に対する不信感は増す一方で、現実と妄想の区別が曖昧になり、彼女は自身の感情や行動のコントロールを失っていきました。私はただ翻弄されるばか りで、何も出来ませんでした」と振り返った。
また、生前の藤さんについて「誤解されることの多い彼女でしたが… とても怖がりのくせに 鼻っ柱が強く、正義感にあふれ、笑うことが大好きで、頭の回転が早くて、子供のように衝動的で危うく、おっちょこちょいで放っておけない、誰よりもかわい らしい人でした。悲しい記憶が多いのに、母を思う時心に浮かぶのは、笑っている彼女です」と偲び、「母の娘であることを誇りに思います。彼女に出会えたこ とに感謝の気持ちでいっぱいです」と締めくくった。
また、「沢山の暖かいお言葉を頂き、多くの人に支えられていることを実感しています。ありがとうございました」と、関係者やファンへの感謝の気持ちもつづっている。
 

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06285687 歌手・宇多田ヒカル(30)が27日、都内の斎場を訪れ、今月22日に東京・西新宿のマンションから飛び降り自殺した母で歌手の藤圭子さん(享年62)の遺体と対面した。
午前8時、宇多田は喪服姿で父・宇多田照實氏(65)に付き添われて、白いワンボックスカーで藤さんの遺体が安置されていた斎場に到着した。
衝撃の自殺から5日が過ぎていたが、こわばったままの表情がショックの大きさを物語っていた。
26日には所属事務所を通じてコメント発表し「悲しい記憶が多いのに、母を思う時心に浮かぶのは、笑っている彼女」と心境を告白していた。
複雑な思いを抱 えたまま、変わり果てた母との対面を果たした宇多田。
斎場にいた約40分間、何を思ったのか、何を話しかけたのか、報道陣の問いかけには一切答えることは なかった。
 

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藤圭子・実兄の恨み

「宇多田君(元夫)は生きてるときも死んでからも利用。

もう妹を返して」

 

<「二十二日の午前中に、ある方から『圭子ちゃんが飛び降りた!』という一報を聞きました。翌日、遺体が安置されている新宿署に 駆けつけました。『実の兄です』と言ったら、警察は慇懃な感じで『証明書を見せろ』という。証明書を見せて、『遺体と面会したい』と言っても、のらりくら りと拒否をするのです。
そして『もし、娘の宇多田ヒカルさんが遺体を引き取れないということがあるなら、私が引き取りますと申し出たら、警察は『それは百%ありえません』と断言するのです。
おかしいのは遺体の身元引き受け人が宇多田(照實)君だということなんです。圭子は宇多田君とは離婚して籍が抜けているし、他人なのです。
せめて面会だけでもと思い、警察に電話番号を渡して、『宇多田君に電話をくれるように伝えてくれ』と言いました。しかし、連絡は一切ありません。彼には圭子を私に会わせるつもりがないのでしょう。
宇多田君はこれまでも圭子と家族を切り離し、会わせないようにしてきました。圭子が死んでもなお、同じことを続けるのかと絶望的な気持ちになりました」>

こう『週刊文春』で妹・藤圭子の死について語っているのは実兄の藤三郎氏である。8月22日(2013年)に東京・西新宿の高層マンションから飛び降り自殺した歌手・藤圭子の死は大きな衝撃を与え、その余震は納まる気配がない。
離婚している元夫の宇多田照實氏が葬儀を取り仕切り、ほとんど人を寄せ付けないやり方に、藤の親族からも後援者からも不満が出ているようである。三郎氏は藤と宇多田の結婚生活をこう語る。

<「圭子と宇多田君は、六、七回くらい離婚と再婚を繰り返していますよね。そのうち何回かは、宇多田君が勝手に籍を入れていたこ ともあった。圭子が宇多田君と上手くいかなくて、おふくろのところに逃げ帰ってきたことがあったんです。その後、圭子は体調を崩して入院した。そこに宇多 田君が現れて、連れていこうとしたけど、離婚して身内じゃないんだからと追い返されたんです。
そうしたら、今度は勝手に籍を入れた上で、『亭主だから』と圭子を病院から連れだしアメリカに帰ってしまったのです。
二人は何回も離婚をするけど、すぐに宇多田君がお金に困り圭子のところに戻ってくる。それの繰り返しだった」>

前川清との結婚・離婚「セックスなかったのですよ、初夜だけだった」

藤は1969年、18歳のときに「新宿の女」でデビューし、70年には「女のブルース」「圭子の夢は夜ひらく」が大ヒットし、作家の五木寛之氏が彼女の歌は演歌ではなく『怨歌』であると評し、人気に拍車がかかった。
ヒットを次々に飛ばす藤は、安保闘争で挫折した若者たちの熱烈な支持を受け社会現象にまでなったが、デビューのときの貧しい17歳の少女というキャッチは売り出すために作られたと三郎氏は話している。

<「赤貧の中で育った、みたいなことをデビューしてから言われていましたが、あの頃はみんな貧しかったのですからね。両親からは 運動会の時にバナナを買ってもらったり、正月に新しい洋服を買ってもらったりしていました。同級生に比べて特に貧しかったということはないと思いますよ。 赤貧~、というのは芸能界で売り出すためのストーリーだったのでしょう。
彼女のキャッチフレーズは『演歌の星を背負った宿命の少女』。少女で18歳というのも何だかなということで、1つ年をごまかして17歳ということにしたんですね」>

人気絶頂の21歳で歌手の前川清と結婚したが1年で破綻している。79年、28歳のときに突然引退を発表してアメリカへ居を移し、82年に宇多田氏と結婚、83年に長女・光(宇多田ヒカル)を出産するのだ。
『週刊新潮』は前川との離婚の原因は性の不一致だったと、前川の告白を紹介している。

<「僕らには夫婦生活と呼べる期間があったのですかね。いや、なんというか……とにかく、セックスがなかったのですよ、ぼくらには、ホント。初夜だけだった、といって間違いないところだなあ。一回だけですよ」(『週刊現代』(72年8月31日号)>

推測するに、ヒカルが生まれた頃からヒカルが歌手デビューするまでの間が、藤の人生の中で一番平穏なときではなかっただろうか。娘が莫大なカネをもたらし、それが3人の仲を引き裂いていった。

「私、事務所の副社長なのにお金1銭ももらってない」弁護士立てたらポンと2億円

音楽評論家の小西良太郎氏は2000年頃、藤から電話をもらったという。<「会うと彼女は『私、事務所の副社長なのに、方向性を断片しか知ら されていない。ヒカルと夫だけで話が進んでいって、仲間外れにされている』と愚痴るんです。しかも、お金を一銭ももらっていないというから、それはおかし いと言って弁護士を紹介しました。そうしたら1ヶ月くらい後に『ありがとうございます。解決しました』とお礼の電話があった。「良かったね、いくら入った の?」と聞いたら『2億円』って言うから、あまりの額の大きさに絶句してしまいました」>
宇多田氏と何度も離婚・結婚をくり返し、娘・ヒカルとも距離ができ、ギャンブルにのめり込み、湯水のようにカネを使って世界中を旅行する。その間に精神的にもおかしくなっていったようである。
『週刊朝日』によれば、06年に藤自らが電話して出演したテレビ朝日のインタビューでこう話している。「私はもう藤圭子でも何でもない。(藤圭子は)お金もうけのために、人からもらった歌を歌って、喜びも悲しみもわかちあって、10年で幕を閉じた」
また、今春、元夫・宇多田氏がツイッターで「救いのない歌詞を長年歌っていると何だか人生救いが無くなる」と藤がいっていたと呟いたそうだ。
三郎氏は藤の金遣いの荒さについて、こういう見方をしている。<「圭子はもともと麻雀や競馬もしていましたが、お金には無頓着でした。カジノ で五億円を散財するみたいな異常な使い方をしていると聞いたとき、圭子はお金に復讐をしているのではないかと感じました。人間を狂わせ、愛娘のヒカルを遠 ざけてしまったもの。そのお金を無駄に使うことで、ヒカルちゃんを母親へと振り向かせたかった。そんな思いがあったのではないでしょうか」>
実の母親と金銭トラブルで疎遠になったままだという報道があったが、三郎氏はそれは違うという。<「三年前、十数年来会っていなかったおふく ろのところに圭子が来たそうです。同居していた男性に付き添われて。三千万円を出して『いままで親不孝してごめんなさい。これからちゃんと親孝行するか ら』って謝っていたそうです。おふくろは圭子と連絡を取れないことをずっと心配していて『圭子は何してんだろうね、圭子』っていつも口にしていた」>

宇多田ヒカルのブログ「彼女の最後の行為はあまりに悲しく…」母を彼女と呼ぶ哀れ

娘・ヒカルも結婚・離婚を経験し、3年前に母親同様、突然無期限の音楽活動休止を宣言し、今は8歳年上の福田天人氏とロンドンに暮らしている という。「二人が同棲を始めてからのことです。ある夜、突然、藤さんがいらっしゃったんだそうです」と語るのは福田氏の祖母である。恋人の母親の急な来 訪。当然、福田氏は驚いた。そんな困惑をよそに、こう藤は告げたそうだ。

「娘を、よろしくお願いします」

これだけ言うと、藤は帰っていった。
藤圭子の家系は目が弱く、母親も盲目で長年付き人と生活を共にしていた。兄の三郎氏も加齢とともに視力が弱くなったといい、藤圭子も同様だった。宇多田ヒカルの「光」という名前は、圭子が娘の目にいつまでも光があるようにとの願いを込めて付けたものだという。
三郎氏の宇多田氏を恨む口調は弱まることがない。<「彼が苦しむ圭子の傍らに最後までいてくれた人間だったら私は何も言いません。でも離婚して、娘とも会えず、圭子は孤独と絶望の淵に追いやられていた。そして死んでもなお、彼女は孤独のままなのです。
宇多田君は藤圭子を四十年来応援してきた後援者の前で彼女のことを説明できるのか。天国のおふくろに顔向け出来るのでしょうか。そして、亡くなった圭子の顔をまともに見ることができたのでしょうか。彼には真実を話して欲しい。このままでは圭子は成仏できません」>
藤圭子が誰にも知られず西新宿で過ごしていた日々 。ある知人は彼女のこんな言葉を聞いて、絶句したという。「日本は自由に見えるけど、厚いガラスの壁に囲まれた国よ。寂しい。毎日が辛い。誰も話す人がいないの」
命までもと好いた男に捨てられても、京都から博多まで追っていく「バカな女」の怨み節は、他人から押し付けられた「借り着」だったのだろう。それを脱ぎ捨てたくてアメリカまで逃げていったのに、彼女が普通の女に戻ることは叶わなかった。
娘の歌手としての成功は、彼女の中にかつての『悪夢』を甦らせたのかもしれない。そんな自分と葛藤している間に夫と娘は離れていってしまっ た。さすらい流れた果てに、彼女は新宿へ戻ってきて自死を選んだ。娘・ヒカルが藤の亡骸と対面したのは彼女の死から6日後である。ヒカルは自分のブログに こう書いた。

「彼女の最後の行為は、あまりに悲しく、後悔の念が募るばかりです」

『彼女』といういい方が2人の距離を表しているようで、哀れである。
 

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 8月22日の朝、藤圭子さん(享年62)、が東京新宿区の自宅マンションから飛び降り自殺し、搬送された病院で亡くなった。
浪曲師の父と三味線奏 者の母の間に、3人きょうだいの末っ子として生まれた藤さん。
生活は苦しく、両親は自宅のあった北海道や東北を中心に旅回りをし、お祭りや炭鉱、寺の本 堂、旧家の大広間などで歌をうたい、その日暮らしだった。
そして、藤さんもまた家族を支えるため、10才になると両親と一緒に歌をうたうようになる。マイナス20℃の中、車も使わず、膝まで雪に埋もれな がら何時間も一家で歩く。泊まる宿がない時は、町外れのお堂の中で一家5人肩を寄せ合い眠りにつく。そんな壮絶な毎日は、藤さんから学業も奪ってしまう。
「学校が終わると、毎日歌をうたいに夜の町に出かけるという生活だった藤さんですが、勉強が好きで学校の成績がよかったんです。もちろん進学して、 もっと勉強したいという思いは強かったと思います。でも、家族を支えるため、中学卒業後は歌一本でやっていくことを決めたんです」(音楽関係者)
そんな藤さんの強い思いが届いたのか、偶然彼女の歌を聴いた作曲家にデビューをもちかけられ上京。17才の時だった。1970年にリリースされた『圭子の夢は夜ひらく』は藤さんの代表曲となった。
時代は高度経済成長のまっただなか。国が豊かになっていく一方で、貧しさに苦しむ人や時代に翻弄される女性が見過ごされる時代だったからこそ、藤 さんの歌は怨みが込められた「怨歌」として評判を呼んだ。『圭子の夢~』は77万枚の大ヒットを果たし、その年のNHK紅白歌合戦にも出場。プライベート では翌1971年に前川清(65才)と結婚する。
しかし、8月25日放送のテレビ番組で、藤さんと同世代であるテリー伊藤(63才)が「彼女が幸せになることを良しとしない雰囲気が実はあった」と語ったように、世間はそんな彼女を冷ややかな目で見ていたという。
「時代の“不幸”を歌った圭子さんの歌に多くの人が共感したのは、彼女自身の不幸な生い立ちがあったからこそ。歌手としても大成功を収めただけでな く、20才の若さで結婚し女性としての幸せを掴んでしまったことで、多くのファンがしらけてしまったところがあったのではないでしょうか」(前出・音楽関 係者)
もしかしたらそんな周りの空気に負けてしまったのかもしれない。結婚生活はわずか1年で破綻した。同時期に藤さんの両親も藤さんの収入を巡って対立し離婚してしまう。
藤さんは目の不自由な母をひとりにしておけないと、父とは絶縁した。都心の一等地に建つ高級マンションで母との生活が始まったものの、同じ怨歌をうたっているのに、ヒット曲が生まれない。
1980年代に到来するアイドルブームの火種があちこちでくすぶっており、藤さんはたったひとり、取り残されたような気持ちになっていた。そうし て彼女は、自由の象徴であるアメリカへ強い憧れを抱くようになった。1979年、藤さんは引退を表明、渡米。その後、藤さんは米国で宇多田照實氏と出会 い、最愛の娘であるヒカルを産む。
※女性セブン2013年9月12日号
 

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藤圭子氏の投身自殺に関して私の見解は以下のようなものである。
この情報を受けて、最初に思ったのが更年期やそれを治療するために飲み続けたベンゾジアゼピン系の抗不安薬や抗うつ薬による自殺衝動が主たる原因ではないかとの見方。
次に、宇多田ヒカル氏が5歳の時明らかに様子がおかしくなったという情報から、
産後うつや産褥期精神病の可能性。そして、宇多田照實氏の発表によると出会ったころから不安定であったとのこと。
また、出産以前から周囲を振り回すような、いわゆる“境界性パーソナリティ障害”のような振る舞いがあったという情報。
そう考えると、アダルトチルドレン的要素や成長発達過程のなかでの衝撃的な体験・経験が影響した解離性障害かその類の疾患(色々なところに旅に出ていたというのが、まさか、いわゆる“解離性遁走”ではないだろう。解離性遁走も単一の疾患で存在することは少ない。となると、解離性同一性障害なのかという可能性も出てくるが、まさか)か。
これらのエピソードでの可能性は低いだろうが、甲状腺の機能異常(バセドーは、頸部を見れば明らかなので否定しやすいが、その逆の橋本病に代表される甲状腺機能低下など)の可能性か。
幼少のころの状況が不明であるので、ここで世間でいわれている“発達障害”という名詞を出して詳細を語ることは誤解を生む可能性がある(だが、歌手活動の復帰をめぐってふんぎりがつかなかったところを見ると、“わたしのいう発達障害”つまり、物事をファジーに捉えることが出来ない生きていきにくさはあったのかもしれない気はする。)うえに、私の発達障害の概念を説明するとますます難解になるので、今回説明するのは我慢するとして、
何がきっかけになったかは、今では明らかに出来ないだろうが、いわゆる非定型精神病のようであったのかもしれない。
いずれにしても、治療中であったのかそうでないかの情報がないと何とも判断しがたいところではある。
しかし少なくとも、これだけは言える。
今の精神科医療は、精神科医各々のプライドが先行しすぎて、わけのわからない専門領域(いわゆる縦割り)から抜け出せていないということ。
その証拠に、うつ病の診断名が拡散しているどころか、発達障害さえまともに議論されずにいる。さらに問題なのは、看護師は医師の絶対主義的思想の下に看護をする傾向がある(つまり、今の診断学に疑問を呈さない。間違っていたとしても、疑問をもたずそのもとで最善の看護を提供しようとする)ので、非常に効率の悪い看護であったりするところだ。
診断学がしっかりしておれば、治療もスムーズになる。診断学と治療がしっかりしていれば、看護をより効率よく提供することができる。
そして、人にはレジリエンス(自己回復力)がある。そのレジリエンスを阻害するのが間違った診断概念と治療方法である。そこに気付かない限りは、いくら愛情や熱意をもってかかわろうと、どれだけ素晴らしい社会資源を提供しようと実りにくいのは至極当然の話である。
藤圭子氏の自殺から話が飛躍してしまったが、ただ不幸な出来事と済ませる訳にはいかない。医原性の自殺がまだまだ多いことは間違いない。
http://blogos.com/article/68896/
 

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高度成長期の1960年代末、日本の歌謡シーンに燦然と登場したのは「怨歌」の藤圭子(62)だった。ほの暗い世界を歌って支持を得た「昭和の歌姫」 は、90年代後半、「平成のディーバ」宇多田ヒカル(30)の母として再び脚光を集めた。その彼女が突然、なぜ自ら死を選んだのか。

ヒカルは98年に、15歳でデビューすると、いきなり800万枚を売り上げ、鮮烈なデビューを飾る。作詞作曲も手がけ、立て続けにミリオンセラーを飛ばした。やがて世界に目を向け、2000年にコロンビア大学に入学。04年には全米デビューを果たした。
一方で、ヒカルが稼ぎ出す莫大な収入を前に、藤の感覚はおかしくなっていく。06年3月、ニューヨークのJFK国際空港で米司法省麻薬取締局が藤を摘発し た。藤が持ち込もうとした米ドルなど現金計約4900万円相当を差し押さえ。麻薬犬が微量の規制薬物も見つけたと報じられた。藤は「違法なカネではなく、 麻薬への関与は一切ない」と主張。後に主張は認められ、没収された現金は返却されたが、異常な金銭感覚が世に知られることになった。
「銀行も誰も信用できないと言って、いつも多額の現金をカバンに入れて持ち歩いていた」と話す関係者もいる。藤の最後の映像は、06年の空港での事件後、フジテレビやテレビ朝日でインタビューを受けた際のものだ。その経緯を、フジテレビ関係者が明かす。
「テ レビ局の代表電話に『藤圭子ですが、話したいことがある』と電話が入ったんです。スタッフが話すと本当に本人だったので急遽ロケバスの中でインタビューし ましたが、『5年間世界を旅していたが、カジノで5億円は使った』などと話す。現金所持事件については『カジノでは現金を持っていて当たり前だ』などと、 とにかく早口で一方的に話し、目の焦点があっていない。誰が見ても『危ない』状態だったので、まともに映っているところだけを使いました」
同時期のテレビ朝日のインタビューでは、こうも語っている。
「私はもう藤圭子でもなんでもない。(藤圭子は)お金もうけのために、人からもらった歌を歌って、喜びも悲しみもわかちあって、10年で幕を閉じた」
このころ、結婚と離婚を繰り返していた音楽プロデューサーの宇多田照實(てるざね)氏(65)と最後となる7度目の離婚をし、それからは消息が聞かれなく なった。10年に母・澄子が死去。今年3月には、恩師の石坂まさを氏も亡くなったが、藤は姿を見せなかった。芸能関係者の間では、「ニューヨークで心療内 科に入院している」といった噂が流れていた。
 

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